以下の文章は,2003年5月14日にシステム制御情報学会研究発表講演会 (SCI'03)において発表した内容に加筆修正したものである.

レスコン誕生秘話

升谷 保博 (大阪大学)


はじめに

 災害時のレスキュー活動を題材としたロボットコンテストである「レスキュー ロボットコンテスト」(以下「レスコン」)[文献 1]は,2000年のプレ大会以来,毎年開催され,今年の8月に第3回を迎え, 徐々に世間に知られるようになってきた.本稿では,これまであまり公になっ ていなかった,このコンテストの着想から実行委員会発足に至るまでの経緯を 紹介する.これによって,改めてこのコンテストの理念や特徴を明らかにでき れば幸である.

 以下では,まず,第2節でレスコンの誕生の経緯について,着想,構想,実現の3 段階に分けて説明する.次に,第3節では,レスコンの舞台設定と要救助者を模 擬するダミーの変遷について述べる.

 なお,本稿では氏名の敬称を略させていただいた.


レスコンの経緯

着想

 レスコンのアイデアが誕生したのは,1997年8月3日,場所は東京国際フォーラム である.そこでは,日本機械学会の創立100周年記念講演会の一環として,第2回 JSMEロボメカシンポジアが開催されていた.といっても,そのシンポジアの中で 話題になったわけではない.それに参加した升谷の頭の中にアイデアが浮かんだ のである.

 もう少し詳しく説明する.そのシンポジアでは,8月2日に「遊びの文化を育て るロボメカ・シンポジウム」と「レスキューロボットシステム・シンポジウム」 が,8月3日に「創造性を育てる物づくり教育シンポジウム」と「介護とサービ ス用ロボメカ・シンポジウム」がそれぞれ並列で行なわれた.升谷は,高森 (神戸大学)らが主宰したレスキューロボット機器研究会[文献2]に参加していた.上述の「レスキュー」 のシンポジウムはその成果発表会的な位置付けであった.一方,升谷は,当時 日本ロボット学会の会誌編集委員でもあり,担当になった「ロボットと教育」 という特集のために,情報収集と執筆者探しの必要があった.そこで,自分の 発表はなかったが,一石二鳥とばかりに,大阪からそのシンポジアに参加した のであった.8月2日のシンポジウムのパネルディスカッションにおいて,企業 の方が「多くの人達は震災から時間が経つと急激にそのことを忘れてしまうの で,災害に備えるための機器というのは商売として成り立たない」と訴えるの を聞き,翌日のシンポジウムでは様々な創造性教育やロボットコンテストの話 を聞き,それならば,「レスキュー」を題材にした「ロボットコンテスト」が できないだろうかと考えたのである.何と単純なことか!

 普通ならば,思い付きだけで終わっていたかもしれない.しかし,1997年度か ら発足した日本機械学会のレスキューロボットRC分科会[文献3]の研究テーマの応募締切がちょうど 迫っていた.升谷が上司である宮崎に上述の思い付きを何気なく話したところ, それを研究テーマとして応募しようということになった.題して「創造性教育 を通したレスキュー技術発展の可能性」.メンバとして,宮崎,升谷の他に, 宮崎研究室の卒業生であり,高専で創造性教育の授業やNHKロボコンの指導の 経験がある関森(明石高専)と,宮崎研究室で一時研究生をしており,ロボリン ピアやロボット相撲の指導や参加の経験がある高木(当時,兵庫職業能力開発 促進センター)にお呼びがかかった.

 2年間の研究期間の中で,東京消防庁消防救助機動部隊や自衛隊の見学,そして 数度に渡る議論が行なわれた.ただし,予算や時間の都合で,実際の授業やイベ ントとして実施するまでには至らなかった.この研究テーマの報告書では,日米 の大学等における創造性教育の比較をし,社会的なニーズを考慮したテーマを課 すことの意義を論じている.また,関森が主導で,レスキューを題材とした技術 コンテストの方法について提案している.その中には「単独型」と「複合型」が あり,「複合型」の1つとして,競技フィールドが街という設定が提案された (図1).これがレスコンの「元祖」である.

図1 関森による複合型の技術コンテストの一例

構想

 RC分科会の2年目の頃,大阪大学の浅田から関西の若手のロボットの研究者に 「ちょっと…」と声がかかった.1998年10月24日,集まってみると,そこには大 阪府の人もおり,2001年に大阪でロボットのオリンピック「ロボリンピック」を 開催するので,その準備の研究会とのこと.「ロボットと教育問題研究会」と命 名され,目的が今一つ曖昧なままメイリングリストを使って教育関係の議論が非 常に活発に交されるようになった.また,後から,関森,金田(大阪府立高専)も 会に加わり,12月の研究会では,関森がレスキューを題材にした創造性教育の提 案を紹介した.

 一方で,ロボリンピックの基本構想を策定していた三菱総合研究所が,ロボリン ピックの「新規競技」の1つとして「レスキューロボット競技」を提案.おそら く,上述のRC分科会の研究テーマやロボカップレスキューの動向を調査してのこ とだろう.

 ロボリンピックの「新規競技」に予算が出そうなことがわかったので,田所 (神戸大学)の呼び掛けで,研究会の中の有志によって,より具体的な提案を策 定することになった.1999年1月30日に大阪大学に田所,大須賀(京都大学), 永井(立命館大学),関森,升谷が集まり6時間に渡る議論を行ない,さらに金 田を加えた電子メイルでの議論の後,3月に「レスキューロボットコンテスト の提案」という24ページの冊子を発行した[文献 4] (その要約は[文献5]や[文献6]).

 この提案では,最初にレスキューを題材にしたロボットコンテストの意義や課題 について論じている.レスキューシステムを拡充させるためには,文化として多 くの人々から支持される必要があり,そのための求心力と継続性を得るための一 つの手段として,ロボットコンテストという方法を採るという考え方を示した. また,ロボットコンテストを「教育」「科学技術」「社会」の3つの軸で評価す る方法が使われた.これは,その後もしばしば使われているが,1月30日の議論 の中で生まれたものである.

 提案書の後半では「探索のコンテスト」「掘削・運搬のコンテスト」「統合型の コンテスト」の3つを具体的に提案している.その中の「統合型」がレスコンの 「原形」である.この中では,現在のレスコンの重要な特徴である以下のような 点が既に含まれている.

 一方,現在のレスコンとの大きな違いは以下のような点である. 図2に提案書で使われた図の一つを示す.

図2 関森による「統合型」の概念図

 以上のようにかなり具体的な競技の方法が提案されたが,提案者らが実行部隊を 引き受けるのは困難であるという立場が,提案書の最後に明言されていた.

 5月21日に,システム制御情報学会研究発表講演会(SCI99)において,升谷が 「レスキューロボットコンテスト」の構想を初めて一般に発表した[文献5].その発表をきっかけに,読売 新聞と日刊工業新聞に取材され記事になった.

実現

 ロボリンピックと呼ばれていた計画は,1999年4月8日にロボット創造国際競技大 会(ロボフェスタ)という名前に決まった.  4月の研究会の中で,金田が大阪府立高専のろぼっと倶楽部の学生とともに,先 の提案書の統合型を基にしたより具体的な叩き台を発表した.その後,大阪府立 高専と明石高専でロボットとダミーの試作を行なうことになった.  並行して,主体が曖昧なまま話が進み,統合型に基づく「レスキューロボットコ ンテスト」の事業計画を作り,升谷を代表者として,6月16日にロボット創造国 際競技大会の公認申請書を提出した (7月29日に準公認決定).また,6月5日には レスコンのWWWページを開設した.その後,独自のドメイン名を取得し,サーバ は大阪大学から,京都大学,そして長岡技術科学大学へ移動するが,以下のURL に当時の内容をそのまま残している.

http://robotics.me.es.osaka-u.ac.jp/~masutani/RescueRobotContest/

 この頃に升谷が描いた競技の概念図を 図3に示す.

図3 升谷による競技場の概念図

 7月7日,ロボット創造国際競技大会関西2001設立総会の中で,他の競技とともに, レスコンの実演を行い,テレビ,新聞等で報道された.始めて一般にレスコンの 具体的な形を提示することになった.また,その内容は9月に行なわれた日本ロ ボット学会のRSJ99でも発表した[文献7], [文献8].

 この頃,競技の準備のための資金調達や事務局の設置にあたって全く見通しが立 たず,関係者は苛立っていた.その心労のために升谷は入院をすることになり, 9月にレスコンの代表者を大須賀に交代した.このことは,支援を引き出すため の説得材料にも使われたようだが,実は白状すると,その理由は嘘である.升谷 は,8月に初めて受診した人間ドックで胆嚢ポリープが見つかり,その摘出手術 のために1週間ほど入院していたに過ぎない.その前から,代表としての役は不 向きなので,交代したい旨を大須賀に打診していた.

 資金や事務局の問題はその後も燻り続けるのだが,結局提案者自らが実行委員 会を結成することになり,大須賀の尽力で1999年12月24日に京都において第1 回委員会の開催に漕ぎ着けた.ここからがレスコンの本章の始まりである.そ の後,2000年8月12日にはプレ大会を開催し,第1回,第2回を経て現在に至る. 図4には大須賀がCGで作成した競技場のデザイ ン,図5には実際のプレ大会の会場を示す.

図4 大須賀のCGによる競技会場デザイン

図5 プレ大会の会場 (2000年8月12日)


レスコンの要素の変遷

舞台設定のリアリティ

 災害現場を舞台とするレスコンは,そのリアリティの設定が大きな問題となる. 災害現場の状況をリアルに表現すれば,観客に興味を与え,参加チームに緊迫感・ 使命感を与えることができる.しかし,他方で,災害を経験した人などが見た場 合には不快感を与える可能性がある.啓発や広報が使命であるこのコンテストは, 多くの人々に受け入れてもらわなければならない.

 これを考慮して,例えば,人間を直接イメージしないボール等を救助対象にし, ガレキの形状や色を極端に単純化する案を考えたこともあった.その後,ロボフェ スタ関西の準備にたずさわっていた博報堂の方の助言により,自動車の衝突実験 になぞらえることにした.つまり,自動車の衝突実験の様子は,テレビCMの題材 になることもあり,不快感を与えるようなものではない.同じように考えて,レ スコンの競技フィールドは,実際の災害現場ではなく,研究所における実験や訓 練の場所であるという舞台設定にすることになった.最初のころは,コンテスト の舞台設定として「西暦2***年,仮想大都市メトロシティーに大地震が発生.多 くの家屋が倒壊し,助けを求めている人がいる.…」と説明していたが,この考 え方の導入後は「ここは『国際レスキュー工学研究所』だ.この研究所では,レ スキュー技術の評価と訓練のために,コンテスト形式で実験が行われている.…」 という説明に変更された.

 余談ではあるが,「国際レスキュー工学研究所」というのは,大須賀が提唱して いる「レスキュー工学」から発想した架空の存在であり,洒落のつもりであった. ところが,3年後には,田所らの尽力によりNPO法人「国際レスキューシステム研 究機構」が認可され,文部科学省の「大都市大震災軽減化特別プロジェクト」 (大大特)の予算で川崎と神戸に実際の研究拠点が設立された.

ダミー

 要救助者を模擬する何かを設けようというのは当初からのアイデアである.しか し,その方法は大きく変遷している.

 「着想」段階のRC分科会の報告書では,レスキュー活動の生々しさを表に出さな いために,ピンポン球を要救助者に見立て,それをぴったり大きさの蓋のない箱 に入れ,ボールがつぶれたり箱から出た場合に救助失敗と見なすという方法が一 例として提案されている.

 「構想」段階の提案書において,レスコンの原形となった「統合型のコンテスト」 では,一定の圧力が加えられると破損するようなもの(風船やピンポン球)で人形 を作ることが提案されており,「競技の複雑化を防ぐために,人形には情報発信 のための機器は付加しない」とわざわざ断わっている.一方,「探索のコンテス ト」では,被災者人形は音,熱,色,二酸化炭素,臭いを発生し,救助過程で被 災者が受けるダメージを評価するために,センサを内蔵することを提案している. センサの候補としては,圧力センサ+風船,そばがら枕+マイク(人形に詰められ たそばがらが変形時に音を出すことを利用),加速度センサが挙げられている. また「掘削・運搬のコンテスト」では,人形の要件として,加速度や圧力の測定, 実時間のデータ表示,無線データ伝送などが挙げられており,具体案として「そ ばがら枕+ワイヤレスマイク」が提案されている.

 「実現」段階において,1999年7月7日のデモのために金田が作成した人形は,体 長200mm程度の動物のぬいぐるみの中に市販の衝撃センサとブザーを内蔵したも のである.人形が手荒に扱われるとブザーが鳴ることで,レスコンのコンセプト を主張することができた.

 レスコンの舞台設定を自動車の衝突実験と同じと考えるようになってからは, 被災者人形を人間の形にし,衝突実験に倣って「ダミー」と呼ぶようになった. プレ大会用には,金田らによって,感圧センサシートとワイヤレスマイクを改 造した発信器を内蔵した木製のダミーが開発された[文献9].体表にかかる押し付け力を無線 でフィールド外に伝送するものであったが,調整が間に合わなかったため,セ ンサの機能は使わなかった.その後,第1回競技会に向けて,升谷らによって, より高機能なダミーが新規に開発され[文献10],「ダミヤン」と命名され た.


おわりに

 他にも書きたいことはあるのだが紙面が尽きてしまった.素朴な思い付きが,大 きなイベントに成長していく過程をわかっていただけただろうか.これは,ロボッ ト創造国際競技大会をはじめとして,たくさんの方々から有形無形の支援をいた だいたおかげである.心からお礼申し上げる.これからも,レスキューシステム を支える心や文化を育むために,レスコンを盛り立てていくつもりである.

参考文献

  1. レスキューロボットコンテスト実行委員会: http://www.rescue-robot-contest.org/
  2. 高森ほか:救助ロボット機器の研究開発 に資することを目的とした阪神淡路大震災における人命救助の実態調査 研究会(略称: レスキューロボット機器研究会)報告書 (1997)
  3. 高森ほか: 大規模災害救助ロボットシ ステムの開発研究分科会(略称: レスキューロボットRC分科会)研究報告 書, 日本機械学会 (1999)
  4. ロボットと教育研究会有志: レスキューロボッ トコンテストの提案(1999)
  5. 升谷: レスキューロボットコンテ スト,システム制御情報学会SCI99論文集,pp.417-418 (1999)
  6. 関森ほか:レスキュー技術を題 材にしたロボットコンテストの提案,日本機械学会ROBOMEC'99論文集, 2P1-05-028 (1999)
  7. 升谷ほか: レスキューロボットコ ンテストの提案,日本ロボット学会RSJ'99論文集, pp. 775-776 (1999)
  8. 金田ほか: レスキューロボットコン テスト用ロボットの試作,日本ロボット学会RSJ'99論文集, pp.777-778 (1999)
  9. 金田ほか: レスキューロボットコン テストのためのダミー人形の開発,日本ロボット学会RSJ2000論文集, pp.1183-1184 (2000)
  10. 升谷ほか: レスキューロボッ トコンテストのためのセンサー内蔵ダミーの開発,日本機械学会 ROBOMEC'00論文集, 1A1-E8(2001)

改変の履歴


masutani@me.es.osaka-u.ac.jp